この映画は「太陽がいっぱい」のリメイク版、とされていますが、
あたしにはそうは思えませんでした。
勿論、どちらも同じ原作のもとに作られているわけですが、
そしてなんだって前作がいいのに決まっているのですが、
あたしとしてはこれは「太陽がいっぱい」と切り離して
見たいなって思ってしまいます。
リメークではなくて、これは「リプリー」という物語だと
思いたいのです。
(マット・デイモンが好き、という要素もあるんですけど)
原題・・・The Talented Mr・Ripley
監督・・・アンソニー・ミンゲラ
キャスト+++
マット・デイモン(トーマス・リプリー)
グウィネス・パルトロウ(マージ・シャーウッド)
ケイト・ブランシェット(メレディス・ルージュ)金持ち夫人
ジュード・ロウ(リチャード・”ディッキー”・グリーンリーフ)
フィリップ・シーモア・ホフマン(フレデリック”フレディ”マイルズ)酔っ払い
ジャック・ダベンポート(ピータースミスキングスレー)
あたしはまず本を読みました。
それから「リプリー」を見て、「太陽がいっぱい」を観たのです。
この順序が違っていたら、また違う感想を抱いてしまったかもしれません。
あたしとしては「リプリー」の方が本のトム・リプリー
の雰囲気に近いような気がしました。
お金持ちのディッキーを羨ましく思って、
そして友達になりたくて、その存在に近付きたくて、
でも叶わなくて。。というような。
マット・デイモン演じるリプリーにはそういう悲しさを感じたのです。
一方「太陽がいっぱい」のアラン・ドロン演じるトムは違います。
ディッキーはただお金を持っているドラ息子で、
自分の方がすべてにおいて勝っているのに、
どうして自分にはあの地位がないんだろう?
とまるで自分の運命を呪っているかのように見えました。
もう野心まるだし、みたいな。
自分がディッキーになるのが本当なんだ、っていうような
確信に満ちた考えのもとに殺人を犯してしまうように見えるのです。
その点、マット・デイモンのトムは、どうして
自分を受け入れてくれないんだろう?
こんなに君を愛しているのに(変な意味じゃなくて)
というような、やや、ストーカー的な感覚で
その悲しみから殺人を犯してしまうように見えました。
アラン・ドロンの殺人は計画的で、
マット・デイモンのは衝動的に見えるのです。
同じお話?の映画なのに、捉え方一つで変わってしまうのですよね。
あたしにはどちらも面白かったのですが人間的な感覚からいえば
「リプリー」の方が好き。
マット・デイモンが好きだから、ということもあるのですが。
(と、最初に戻る)
☆☆☆
ブログ+Audio-Visual Trivia for Movie & Musicさんでは
完全タイトルが書いてあるのが楽しいです。
ちなみに、
”Mysterious Yearning Secretive Sad Lonely Troubled Confused
Loving Musical Gifted Intelligent Beautiful Tender Sensitive
Haunted Passionate Talented Mr. Ripley”
だそうです☆
リプリー